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『毎日が夏休み』 製作=パイオニアLDC=サンダンス・カンパニー 配給=KUZUIエンタープライズ カラー/ワイド/94分/1994.06.11公開 |
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![]() ![]() 「自分で企画した2本目の映画。原作の大島弓子さんは、とってもシャイな方らしくて僕は未だにお会いしてません。喜んでくれてるのかなあ……脚本完成から実現まで3年くらいかかったので、達成感があります。佐野さんが演じた主人公の成雪はおかしなやつなんだけど、実は僕の理想像――こういう人に私はなりたい、と思っていた。軽妙にやってくれましたね。風吹ジュンさんと初めて会った時、言うまい言うまいと思いながら、遂に「『愛が始まるとき』歌えますよ」と言ってしまった。ジュンさんのデビュー曲なんだよね。佐伯日菜子はバレエをやっていたおかげで身のこなしが奇麗だった。お芝居はリハーサルを重ねた結果良くなったけど、包丁の扱いとか雑巾掛けが上手くならなかったけどね(^o^)」 |
![]() 私の名は林海寺スギナ。中学2年生、14歳です。母親も義父も再婚同士なので、言ってみればわたしたちはスクラップ家族というわけです。そして、わたしたちの住む家は東京郊外の新興住宅地にありますが、ここは住み心地が良いのが引っ越しする人もなく、ほとんど村化しているのです。その“村”で評判の女子大付属中学の優等生が私です。明るい性格のため友達にも好かれていると母親が近所で自慢のたねにしているのですが、実は同級生のいじめに嫌気がさして、毎日登校拒否を続けていたのです。それだけではなく、成績表も自分の手で作りあげるという公文書偽造まで手掛けていたのです。ところがいつものように「今日も元気に登校拒否だ!」と家を出た、初夏の陽もうららかなウィーク・デイのある日、公園でお弁当を食べたあと、のんびりと読書をしていると、何と義父とバッタリ顔合わせ。「おっ、お義父さん」「何だ、スギナか」と、なんとも間の抜けた挨拶をかわした後、よくよく聞いてみると、一流企業に勤めていたはずのお義父さんも、出社拒否をしていたことがわかったのです。夫の失業と娘の登校拒否という事実を一挙に知ったお母さんは、世間に合わせる顔がないと嘆きのセレナーデ。考えてみればあたりまえです、天地がひっくり返るようなことを、同時に二つも聞かされてしまったのですから。そんなお母さんの心配をよそに、その日から娘の教育に目覚めたお義父さんは、いつも一緒にいて目をくばれるという理由から自宅で「何でも屋・林海寺社」を開業すると決意してしまったのです。私はなんだか楽しそうなことになりそうだとワクワク。勿論、お母さんは大反対。にもかかわらず、お義父さんは「自分は社長で、スギナは副社長、お母さんは監査役」ときめてしまい、「何でも屋・林海寺社」は営業をスタートすることになりました炊事、洗濯、掃除、買い物など家庭のこまごまとした ![]() 依頼される多くの仕事を一生懸命こなしながら、やがて、運命共同体として目覚めたお義父さんと私は、多くの人生の学習をすることができました。さらに、私はお義父さんから学校では得られない素晴らしい個人授業を受け、忙しいながらも心弾むような充実した毎日をすごすことになったのです。こうした家族の大きな変化の中で、やがてお母さんもわたしたちのことを少しずつ理解してくれるようになりました。ところが、ひと安心したのもつかの間、私にとっては予想もできないような出来事が、次から次に起こることになったのです……。 |
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